小学生のころ、自分がいつか死んだら、無になって、でも、自分が生まれる前の様に
この世界は勿論、続いていくのだろうなと考えてました。
では、もし、何かで地球が無くなったとしたら、(爆発などで)
(<ノストラダムスの大予言>も当時、かなり取り上げてられましたし)
「ただただ、無言の宇宙があるだけなのか?」など、考えれば寝付かれず、悶々と
したものです。(ほかの星には宇宙人がいるかも?とか)
考えても、分からないし、スルーして、あまり、考えないようにしていました。
そして、1993年に父を66歳で、2003年に母を74歳で亡くしました。
とりわけ、母を亡くした時は、愛する人は、夫や子供たちがいるけど、
「私に唯一、無償の愛をくれる人はもういない」と、寂しく、悲しく、深く落ち込んでしまいました。
当時は、江原啓之さんと、美輪明宏さんの<オーラの泉>がテレビで放送が始まり、
ブームになっていましたので、<死後の世界>はあるのかも?
父や母が、肉体は無くなっても、魂が生前と同じように変わらず存在してくれるならどんなに救われるかと思ったものでした。
母が元気な時に、「死んだら、無になるのかな?」とかの話になり、母は、
「死んだら終わり、寝てるのと同じ、無になると思う。」と言いました。
「じゃあ、お母さんが死んで、死後の世界があったら、教えにきてよ。」
「わかった!足をくすぐりにいくわ!」と冗談のように話していました。
そして、亡くなって1か月ほどしたころ、お布団に入って、寝ようとしていると、
足の裏をくすぐられる様な感覚が、<あらっ!お母さん?>と思いましたが、
気のせいかな?そんなはずないし、と半信半疑でしたが、
母が、「今も、生きているよ。」と教えに来てくれたと思うと、救われるような気持ちになりました。
後日、妹に「お母さん足くすぐりにきたよ。」と、報告はしました。
そして、4か月ほど、過ぎたころ、夕方、家のソファーで、うたた寝をしていました。
携帯の着信音がなったので、(当時はガラケーで着信曲はスマップのライオンハート)
電話に出ると、「この電話番号は、現在使われていません」との音声が聞こえてきました。
<向こうから掛かってきたから出たのに、なんで?>と思い、画面を見ると実家の電話番号でした。(4か月前に解約していました)
でも、まだ、寝とぼけていたのかも?なんかの音を着信音と間違えたのかな?
リダイヤルを押したのかも?と、またまた、半信半疑でした。
そんなことがあり、私の「死後の世界」はあるのか?から始まるスピリチュアリズムの探求が始まることになるのです。